親の経済力と子どもの学力が連動する理由

おはようございます。
生徒さんと、インスタの画面に最近の投稿って、SNS全般だけど、エロスの割合増えてきたよね。
もはや昔世代からすると、無料で見られる、ソーシャル・メディア・エロ本だわ。
ノーブラで散歩してみたとか(*‘ω‘ *) 色々あるやん?
もっとも、小娘の布きれ見た所で、だからなんやねんって「興味ない」とか「通報」で消すんだけど という話をしていたら

(‘ω’) えっ?私の画面そんなんでないよ。 先生そんなんばっかり見てるの?

(; ・`д・´) いや見てないよ!ほら!検索すらしてない!むしろ出ないでほしいと思ってるのに!

と、証拠を提出するも、疑問を聞いたら、変な疑惑を掛けられたという私です。
大人とは、そんなお子様エロスじゃ何も感じない。
( ´ー`)フッ 免疫力の高さやね。

だけど、布きれの 形状のデザイン性や刺繍のデザインには、なるほど!(; ・`д・´)と感心は行く。
だからUNIQLOの布きれはあかん。

(‘ω’) 朝から、なんの話? 変態の疑惑を掛けられそうなので…。

(/・ω・)/ 話を変えよう!


親の経済力が高い程、子どもの学力が高い 的な事はよく言われます。

実際にそういう統計はいくつも出ているので、そういう結果になろうかと思います。

私は教育者の端くれとはいえ、子どもの学力に興味があるのかというと、特にそのジャンルに強く興味がある訳じゃなく、そういう風な記事を見せられたら

(*‘ω‘ *) 考えたらわかるやん?

的な所があり、書かれてる内容が浅いなと思うので、もうちょっと、その原理原則の部分によって書いてみようと思います。

今、まだ珈琲飲む前なのと、日々の寝不足で頭回ってないというか、指先が動いてないので、誤字脱字多いと思いますが、ご了承下さい。

(∀`*)ゞエヘッ それいつもやけども


 そもそも、学力を上げる為に必要な要素とはという前提の前に、1つ疑問を持ってほしい所があります。それは、学力とは何かという前提条件です。

学力が高いとか低いというのは、何をもってそうなのかという点において、その評価方法というのは、いわゆるテスト的なデスクワークによるアウトプットの正確性で計測しており、今の所、こうした方法でしか計る術が無いのが主流です。いわゆる認知能力と呼ばれる所。

つまり、アウトプットに適した在り方かどうかという前提条件があっての学力と理解する必要があります。

もし、学力の計測方法が、バスケットボールをリングに入れる事によって測定するのであれば、誰もデスクに座っていわゆる勉強的な事なんてしません。
「何かをする」というのは、最終的にそのアウトプットや評価のされ方に合わせて行動しているという事になります。当たり前ですが、その前提条件はしっかり押さえておかなければなりません。

そうでないと、一概に1つの理屈を妄信して、自らの見解に疑問を投げかけ考察する、可能性を模索するという事が無いからです。

言う事を聞く子、素直な子。それは育てやすいのはあります。AとはBである。と教え、それを疑問も持たずに妄信する事は教える側には楽ですが、そもそもAがBである理由は何か?と現状に疑問を持つ頭の回し方をしなければ、実社会の中で、イニシアティブをとる事はできません。誰かの指示を仰ぐ事でしか前に進めず、自らの力で歩む事ができないからです。

しかし、これを子どもがやると

(; ・`д・´) 屁理屈ばっかり言ってないで!早くしな!

と怒られる。
残念ながら、その子どもの周りの環境(大人)に恵まれなかったと諦めるしかありません。

さて、そうした前提条件の学力ですが、これ細かい所まで書くと、めちゃくちゃ長くなりそうなので、端的にまとめていきます。

学力を向上させるために…というのは、いくつかの要因があります。

1.繰り返しができる情熱(努力?とも言える)
2.そもそもの地頭となる能力

概ねこの2つが必要とされますし、そう思われていると思います。
しかし、この2つだけかというと、これは学力のファクターの重要な要素ではありますが、これが全てではありません。
ここに影響を与えてくるのが、親の経済力 という事になってきます。

親の経済力がファクターの1つと言われると、概ね想像されるのは、多分こうなんじゃないかなと思います。

(*‘ω‘ *) 色んな所に連れて行って機会を与えられるから

その要素もありますが、それだけではないし、一部でしかありません。

そこで、ちょっと目線を変えて考えてみてもらいたいと思います。今の日常からちょっと離れて想像してください。

あなたは、何も無い地に複数人と共に落とされたとします。
周りは山々で超える事はできません。一度、山の山頂まで上がってみたけれど、どこまで広がる山々でその先に山以外の世界はありません。

あなたが生きる為に最優先として、することは何でしょうか?

当然 3大欲求を最優先に、それを安定してできる環境を整えようとします。
生活環境の 衣食住を安定させることもです。

時間の経過とともに、子どもが生まれ、食料の加工技術が工夫され、文化が安定してきます。
複数人の人数が増えると、争いが生まれます。安心した文化を継続させるために、秩序維持が必要で、リーダーが決まり、ルールが決まります。

(*‘ω‘ *)みんな仲良く過ごしました。 おしまい。

 

さて、この中に教育というジャンルってありましましたでしょうか。
無かったでしょう?

教育とはそもそも、人間の文化と欲求が高い次元で満たされた先に、未来の投資として存在するのが教育です。 生きる事で一杯一杯の状態では、教育というジャンルは二の次、三の次の話であり、そもそも上位の人間だけが得るモノ。そして、それは物販の様に、お金を出して購入するという事ができず、多様な経験と苦労と考察があって手に入れられる。それが教育というジャンルです。

組織の末端は、指示書や仕事に必要な 話や文字を読めれば良いだけであって、学力を高めると、組織に歯向かう力を付けてしまう事から、勉強をさせない。支配する側の上流階級の人間に縛っていたものです。

学力とは文字通り、力 なので、物理法則と同じ様に、合理的な算出で、その特性は見る事ができます。

なので、勉強をやらされてると思ってる子どもにとっては、そもそも捉え方が根本的に間違ってるし、したくなければしなければいいし。効率よく失敗してリテイクする方法を教えてるのに、それを学ばないというのは、結局は痛い目を見て、無駄な失敗を繰り返すという事であり、そんな学びの基本概念を教えて、ちゃんと、自分事として捉えられるように最初にキッチリ、躾けたら、後は放置したらいいのにって思うのです。

上記の物語の様に、親の経済力(これも力の1つです)が、子どもの学力に影響を与えるというのは、自然発生するもので、意図しなくとも勝手にそうなります。

また、物語の中で、周りに山々でどこまでも山々に囲まれた世界というのを知ると、外に出ようとしなくなりますよね。
知識が無く、近くしか見えてない人間にとっては、現状の場所から動かなくなるというのが特性です。忙しいから学ばないとかもそうです。
人は恐怖すると動かなくなるタイプの生き物です。 ヘッドライトに照らされた鹿類と同じタイプ。

中途半端に感度が良すぎて、無駄に考えすぎてしまい動けなくなる。
起業する、新しい事にチャレンジするというのは、知識があるから手を打てる話です。

逆に勘違いをして、知識が無いのに、チャレンジする亡者もいます。
現状から逃げる為に、何かと向き合う事なく「逃げる」という言葉を使いたくないがゆえに「チャレンジする」と言って動き、判断を見誤るタイプです。
これは未来の予測をしている訳でも、計算している訳でもないので、大抵失敗します。何よりチャレンジする理由が「逃げ」から来てるので、ちょっとした事で、また逃げを繰り返していきます。

チャレンジとは、現状の逃げでもなければ、博打でもありません。

話を戻しますが、こうした自然発生する意味での、親の経済力と子どもの学力という点においては、医者の子どもが医者になる と言われるように、親からの継承を得て、そのチャンスを与えられてという点もあります。これは本人の努力や地頭とは、違う要素です。

ただ、これは昔ならわかりますが、今のネットワーク時代にあって、この要素はかなり薄れてきました。チャンスは努力で簡単に手に入る、良い時代です。
親の七光りを継承するのは、もはや地盤固めしたい政治家の世襲くらいなのではないでしょうか。

では、もうちょっと深く掘り下げます。

人は時間にゆとりがあると何をしますか?
物品に限界がある世界だと思ってください。 丁度、100年位前の世界を想像してください。デジタル機器はありません。三大欲求も全て満たされ、衣食住も満たされている状態で、人はゆとりがあると何をしますか?

これです。

人は、物質的な欲求が満たされると、知見を広げようとするのです。
次は、心の欲求を満たそうとします。

心の欲求とは、自分の存在意義や、社会貢献、知識の吸収 などなど。

では、現代の様にモノに溢れた世界ではなく、物がそれほど無い世界。100年前を想定して
裕福な家庭にあって、裕福じゃない家庭に無かったモノってなんだと思いますか?

電話じゃないですよ。( ´艸`)

本です。 裕福な家には、大人が読む本が転がっていたんです。
だから、子どもはやる事ないので、並べられたその本を意味も分からずに読む。

本を読むことで語彙が生まれます。 言葉の表現、大人の言葉の意味が理解できるようになります。
多様な言葉を使いこなす事は、多様な考えや、繊細な違いを生み出す思考へと繋がります。
また親という1つの価値観ではなく、違う大人の価値観に触れる事で、これまでの常識が非常識だと思う事や、違う可能性を模索する事。 人の異なりという点を本から学ぶ事ができます。

幸いにして、こうした書籍を読み込むという事で、語彙が増える、頭を使うという、一連の流れが、最初の学力の測定方法であるテスト的な出力形式にフィットする訳です。

故に、親の経済力と子どもの学力がリンクするという点では、ここでも繋がってきます。

こういう風に聞くと、親の経済力が無ければ、うちの子は学力が低いのは仕方ない事なのか?
塾に通えないから学力が低いのか…。

そんな端的な発想はやめてください。

安心してください。今の時代、 親の経済力=子どもの学力は、そこまで影響しません。
というよりも、ほとんど影響しないレベルにまで下がってきたと言っていい状態です。

だから、親御さんの収入の如何というのは、気にする事ではありません。

その親の経済力=子どもの学力のリンクを外したのが2つの要素が大きな所です。

1つは、昔に比べ社会保障が充実してきた点があります。
例えば、大阪市の場合は子どもは、塾代として1万円かな。貰えます。

学校も完全無料ではないにしても、義務教育という仕組みができて、子どもが労働しなくて良くなった事も含め、図書館や、様々なイベント企画と十分すぎる程に充実しています。

お金をかける=学力ではなく、そうした環境を十分に活用し、コストを掛けないといけない所にはかけるという、メリハリをつければ、最小限の支出で子どもの学力を大幅に上げる事の環境整備というのは、普通にできる世の中です。

環境は可能だけど…。

環境は十分すぎる程にあるのだけど、それを 全て 無にする存在が3つあります。
全ての努力を、完全に吹き飛ばすほどの 無 にしてしまう存在。

それが、親とゲームとYoutubeです。

親の存在は、子どもにとっては、もはや神です。
良い親は、子どもの可能性を十分に引き上げますが、悪い親は、子どもの才能をことごとく潰します。
悪い親というのは、何も家庭内暴力を振るうとか、そういう事じゃなくて、未来が見えてない親というべきかな。 

例えば、親が、子どもに対して、この子は頭悪いから無理です。とか。日常的に親自身が 無理とか、ネガティブな発言が多い環境で育てれば、こどこもはこの世界に可能性なんて感じません。
できない事が当たり前に育っているので、本来のスペックが高くても、何も発揮できません。

次にゲームですが、ゲームも種類による所があるし、またそのゲームを、どうとらえてやっているのかによります。 楽しい! というのはアウトなゲーム。 思い通りに行かないは良いゲーム。 それだけじゃないですが、1つの見分け方という意味で。
後は、そこから学ぶ意思をもってゲームしてるかによります。
単純に楽しいだけでやってるゲームは完全アウトです。

Youtube。昔でいえば、テレビばっかりみて! というのが、今の時代はYoutubeばっかりみて!
という事になると思いますが、テレビの様に決まった時間に決まった範囲でしか放送されないという、大人が微調整しているテレビと違い、 個人や企業が無作為にアップロードするから、視聴時間やコンテンツ内容に制限がなく、常に見れるという中毒性もあります。

私は、NHK教育テレビ中毒でしたけども(;’∀’) 理科ばっかりみてやんの。

モノに溢れた時代。豊かさが学力を低下させる要因を作っているというのも事実です。

さて、こうした背景をもって、そろそろ指が疲れてきたから、閉めたいと思います。
( ´゚ω゚)・*;’.、ブッ 記事を閉じる理由が毎回これ。

昔は、やんちゃな子。つまり学校へ行かないで問題ばかり起こす子っていましたよね。
勘違いしてもらいたくないのは、やんちゃ=頭が悪い訳じゃないです。単純に学校というシステムが嫌いだっていう話です。

昔はやんちゃは学校行かない。マジメ君は学校行く。というのが単純だったし分かりやすかった。
だから、マジメな子は勉強すれば、それなりに努力が報われていた感あります。

でも、やんちゃだからといって、地頭が悪い訳ではありません。
彼らは、興味が無いだけで、やると点数とか普通に取ってきます。ただ興味が無いからやらないだけです。

でも、この子が、気が変わってやるようになってくると、次はマジメにやってた子を、普通に追い抜いてくる訳なので、地頭が別に良い訳じゃないけど、努力でカバーしてまかり通ってきた人間にしてみれば、太刀打ちできません。

今は、やんちゃな子が減ってきた結果、こういう色々な要素がミックスしてきて、単一的に 〇=▼であるというよな、短い言葉では言い表す事はできません。

ただ1つ。この親の経済力=子どもの学力 というのは、数年前、もちろん現代も無視はできませんが、だからといって裏口入学させるなら、その経済力は多いに意味がある所ですが、そうでないのなら、Nonコストで学力は上げられます。

一番は子どもの神というべき、親の意識の高さ
が1番で、未来を見据えられているのか。これが9割と言っていい。
社会福祉として用意されている環境を最大有効できているか
問題集とか、ブックオフに行けば50円や100円でいくらでも手に入ります。
数式の公式は、中古だからといって中身は、100年や200年程度では変わりません。少なくとも、子どもが死ぬまで、数学の公式も物理の法則も何一つ変わることは無いでしょう。
学問においての新品など、法改正など、人間都合で変更可能な頻繁なジャンルを除けば、ほぼ皆無。

後はYoutubeやゲームなど、麻薬の様に、理性を失わせる要素を排除し、自分事として興味を持って、大人の本を読み、計画的に取り組めば、学力を上げる事なんて、難しい事でもないし、マウントは取れます。

結局は、全てを無にしてる、 未来を見ない親とゲームとYoutube これを排除しきれない子どもが、いつまでたっても、足かせをはめられて勉強しているようなモノで、学力上がるはずないやん?となり、親の経済力とは今の時代、ゲームを買い与える裕福さが学力低下を招いていると言ってもいい感じです。

だって、風呂にコーラ溜めて、メントス大量にいれて喜んでるって、もうそれで程度が知れるやん?(/・ω・)/

そこを分って、スティーブジョブズは、自分の子どもにiPadを与え無かったんだから

(*‘ω‘ *) やっぱり、ジョブズは、全てにおいて神だわ。 我がままやけど。

ここまでは、どちらかと言うと表層的な内容です。さらに行けば、親の経済力が低い理由がどこにあるかという所が主キーになってくるけど、そんな記事は需要無さそうだからやめとく。

最も私の日記に需要なんてないけど🤫

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