同性親子

親子関係というのは、社会で言えば時に上司と部下の関係であり、教師と生徒の関係であり、同士であり、パートナーであり、色々な形態があり、それゆえにどの形態というのが安定していない分、自由ではありますが、故に問題点もちょこちょこあります。

私はどちらかというと親子という意味では、まぁまぁ仲良くやってると思います。
父親と息子 というのは結構反発しあう事が多く、男同士という事もあり、一度引火すると、ド━(゚Д゚)━ン!!って、パワーが振りかざされる事があるかもしれません。

昭和だったら、グーパン は標準だったでしょうか(´・ω・`) 

だって、先生ですら『今からお前を殴る!』と宣言付で殴るのが普通とされていた訳ですから(笑)

スクールウォーズ ちょっと久しぶりに見たい気がします…。

さて、男同士というのは、それでもある意味単純なんです、ぶっ飛べば ある意味スッキリする所はあるんですが、母娘 という事になってくると、ちょっと男性同士よりも、引きずる事が多い様に見受けられます。

母娘の関係性も 親子である以上、これといって関係性は同じなのでしょうが、受け止め側が、息子か、娘か によってちょっと違うんですよね。

仲良し母娘も、もちろん一杯いるんです。

ただ、スムーズに行っていないという事を聞く事も、結構 聞くんです。

父親が娘に対して…という場合、これは異性ですから、ある程度…。いや結構 遠慮してる所があり、なんだかんだ言っても女性ですから、守るべきものという潜在的な前提があり、そこに親子という要素だから、まぁ、相当に甘くなるんです。
息子とは違う、甘さという感じですね。

でも、母は同性だから、そうした遠慮がありません。 それに自分の子どもの頃は、こうだった! という想いが全面的にありますが、父親には、女性の子どもの頃の経験が無いので、全く想像もできません。

さて、こうした母娘の関係で悩まれている 母 の存在というのは、一定数おり、決して自分の家だけの問題ではなく、結構居るという事は理解頂ければと思う訳ですが、その問題の根源となるのは、残念ながら 母 の問題という事が一番大きく寄与します。

別に 母 否定している訳ではありません。

母が 偉大なのは、十分に理解した上での事ですので誤解されないで下さいね。

こうした母娘の コミュニケーションが取れない問題のパターンを見ていると

  1. 男兄弟がおらず、姉妹だけの家庭
  2. 母 が過干渉な性格
  3. 過剰すぎる娘への愛情
  4. 場合によっては、夫婦中がめちゃ悪い

という様な事を感じる訳です。
とはいえ、母 の言い分としては、姉妹が居る場合、同じ様に育ててきた! と言われると思います。
とはいえ、同じというのは難しんです。

私だって、常に安定した状態で授業をしているつもりだし、かなりそれについては意識を持っていてるんですが、それでも、今日の先生は ちょっと怒り気味とか、具合悪そう…とか。人間ですから、ある程度の感情の起伏はあるでしょうが、それを出さないようにはしていても、やっぱり出るのは出るんですよね。
だから、同じ様に…といっても、どこか受けてにとっては、少なくとも違うように感じる何かがあるのかもしれません。

では、1つ1つの内容をザックリですが解説します。

男兄弟がおらず、姉妹だけの家庭

これは私の経験です。 こうした悩みを持たれている方の話を聞くと、もう殆どといっていいほどに、兄弟内に男子がおらず、女性だけの姉妹での勃発している率が高いように感じるという、私のカンです(笑)

統計データがある訳ではありませんが…というか、そんなデータないでしょうけども…。
長女だから、我慢している…という事や、お姉ちゃんだけ優遇されているという妹等々… 母(女)VS 娘たち(女)という、そういう事以上に、色々メンタル的な問題がありそうです。

とはいえ一番は、やはり 『比較』からくる劣等 というのが大きいように思います。
子どもは、比較されるのが凄く嫌いです。 比較してくる大人を 敵 とすら感じます。大人でも嫌ですよね。

もし、あなたが会社で上司から『お前は3年目なのに、今年入った新入社員よりも仕事がデキない…』なんて言われたら自尊心も失います。

学生の内は、点数 という漠然とした数字でひたすら 比較される日々です。もううんざりです。
上位者は、それが糧になりますが、下位の人間には、余計に勉強が嫌いになります。
点数制度は、自分を客観視する事でも、あっても良いと思いますが、クラス内で何位 と具体性を出されたら、下位の子は、やる気をさらに失います。 

もし、告示するのであれば、上位10位 までに止めとく位にするべきですね。

この様に、外でひたすら比較され続けてきているのに、同じ条件(女性同士・子ども同士)という環境で、さらに姉妹での比較が発生するとなると、もうげんなりです。

家庭では、やっぱり母の愛情を無条件に欲する物ですが、その母からも比較されては、子どもとして安心できません。そうした、子ども時代の愛情不足は、大人になっても、一生癒えぬ傷として心に刻まれてしまいますが、その自覚が親には無いので、子どもがどんどん傷ついていくという事になります。

子どもは親に否定されても、愛情を求めようとする。

虐待された子ども達も、同じです。折檻の名のもとに暴力を受けてもやっぱり親から逃げるという選択なんてないんです。暴力を振るわれても親ですから、愛情を受け取りたい…切ないですね。

イチャイチャした。妊娠した。子どもできた。西松屋でアイテム買った。保育所入れた… これが親になるという事ではありません。
自分とは異なる人格の一つの人生を背負うという事であり、その人格を独り立ちさせる為に、自分の持つ全ての知識と経験を網羅して、様々な可能性とあらゆる教育を行う。独り立ちできるように。 それが親の仕事です。
勿論、愛情の上に。

母の過干渉

子どもにとって、母親 というのは、ある意味 口うるさいモノです。
それが、愛情というのを理解するには、子どものうちでは難しく、大人になって、そのありがたさを知るという事はあります。
とはいえ、子どもの理解力が低いうちは、口うるさいモノです。 

母は偉大ですが、完璧な人間ではなく、一人の人間です。

子どもの教育の多くの部分に対して影響力を与えますが、母は教育のプロフェッショナルでもなんでもありません。料理は作ってくれますし、小さい時なら勉強も見てくれたり、遊んでくれたり、オールラウンダー ではありますが、専門家ではありません。

だから、当然知らない事の方が圧倒的に多いし、ましてや初めての子どもの場合は、分からない事ばかりで、毎日アタフタする中で、家庭という事を考え、女であり、妻であり、母であり、色々な側面を持った人なのです。
その多様性と、同時処理できるスキルは、男性がデキる事ではありません。

男性がデキるのは、家事をより早く済ます。 より美味しい料理を作る…という1つのタスクに対して、仕事の質を上げる事はできても、そこまでのオールラウンドな事を同時カバーするというのは、かなり難易度の高い事です。
ここに、ママ同士の情報共有など、本当に凄い能力の持ち主だと思います。

そんな母とはいえ、一人の人間です。
だから、休みたい時もあるし、自分を犠牲にしている分、自分が何なのかを失う事もあります。

なので、旦那さんは、嫁大事にせなあかんと思う。(´・ω・`) 

ちょっと話飛びましたが…。

そうしたマルチタスクを同時処理する以上、現状報告となる、今どうなってる? という事の確認は当然必要となる訳では、それで、子ども達に『今、どうなってる?』という状況確認と『こうしなきゃいけない』という提案を何度も行う事が、結果的に口うるさくなるですね。

これが過剰に行き過ぎると、過干渉になります。

過干渉は、される方も、する方も、精神をすり減らし良い事は何もありません。負 しか生まれないのです。
子どもはほっておいても大きくなる。それくらいな余裕と自由の中でノビノビしている方が、良くも悪くもですが、外部や友達から情報を仕入れ、それなりの学んでいきます。
母の子どもの頃がそうだったように。

過剰すぎる愛情

過剰な愛情 という言い方は本来は違うのです。愛情はいくらあっても良いのですが、愛情というモノを勘違いしている事が多いのがこれです。

愛情=甘やかす ではありませんよね。 でも、多くが間違った愛情で、子どもを取り囲みます。

1つは、自分の価値観の押し付けが多いですね。
自分の生き方を教養するというのも、これになります。自分が叶えられなかった夢を娘に託すというのもこれです。
自分はピアニストになりたかった、だから娘にはピアノを上手になってコンサートデビューして欲しい…。

娘はペットではありません。いや、ペットよりも酷いよね。生き方を指定してるんだから。

まだ、社会経験がなく、世の中の仕組みが分からないから、ある程度は後々選択ができるように色々手を打つ事はありますが、その主体が子どもの為なのか、親のエゴの為なのか、今一度考えておく必要があります。
だからといって、子ども主体だからといって、何でも間でも自由意志という事では、それは育児放棄になりかねません。 分からない世界に産み落とされて自由を与えられても、選ぶ基準すら分からない子どもに自由を与えすぎるのは、ただの放置です。

この微妙なバランスの中で、子どもの自尊心・特性等を理解した上で、可能性を広げるのが子育てだと私は考えています。

過度な愛情と称して、娘のプライバシーも奪い、選択肢を奪うのも多いに問題ですね。
また、娘の場合は誕生会といって、友達を呼んだりとか、パーティーを親が楽しむ為に、子どもをダシに使ってるケースもあります。

親のエゴを満足させる為に子どもを利用してはいけません。
母の身体を通して生まれてはきましたが、決して自分の分身ではなく、別の人格であり、コピーやクローンではなく、全く別の人間。 文字通り『他人』なのだと理解する必要があります。

女同士だからといって、決して、自分の良き理解者にさせようとしてはいけません。

夫婦関係めちゃ悪

夫婦喧嘩を良く勃発させる家庭の子どもは、メンタル面で幸せにはなりません。
そして、母親のストレスは、子どもに向く事が多くあります。

これは、旦那さんにも責任がありますね(笑) 夫婦の事はここでは言うまい・・・。

まとめ

書き出すと長くなるので、まとめます。

総じて、娘 という女性であるが故に、感受性も高く、母の感情を息子よりも、より早くキャッチする為、母娘の連鎖は問題の勃発が起こりやすく、男児の場合は、逆に気付かないのでスルーしてしまうので、問題があまり出てこない。

男の鈍感さが、成功している 数少ないメリット(笑)

母からの教育の影響は、どれだけ抗おうと、自分が娘を育てる時がきた場合、同じようにしてしまいます。
身体のDNAは見た目として引き継がれますが、教育のDNAも実はメチャクチャ強力で、本当に抗っても、相当努力しない限り、次世代の子育てに繋がります。

なので、母は、孫にも影響を直接与える存在であるという事になります。

とはいいましても、どれだけ母が努力しても、超えられない所はあります。
例えば、過去についてもそうです。

娘がいずれ成長し、自分が大人になった時に、こうなったのは 母親の責任 と言ってしまうのは、なんであれ未熟です。どのような環境であったとしても、現状は過去の積み重ねである以上、今の自分は過去の自分の決定の積み重ねが自分自身という事になります。

母親に対してトラウマがあった所で、その過去を 別の角度から見直し、自分の理解を成長させ、そのトラウマを解消しなければ、いつまで経っても、呪縛の中で一生を過ごす事になります。

トラウマを持ち続けながら生きるのが、ある意味心地よいという事も分かりますが、苦しみを生み出すのであれば、それは解消しなければ、また自分の子ども、孫も、ひ孫も…延々と 教育のDNAは引き継がれます。

母の努力も大切だし、受けての娘もまた成長することが求められます。

一緒に過ごせる時間を大切に

母と娘が 同じ時代に同じように過ごせるのは、数十年。
場合によっては、数年。数か月…という事、さらには入れ替わり…なんて事もあります。
争うよりも、お互いを理解しつつ、一緒に時間を過ごす この時間を 幸せに過ごしてもらいたいと思います。

母は子どもを愛し、子どもは母の愛情を沢山吸収する。
なのに、ゆがみ合う時間なんて悲しいもんね。 

今、一緒に過ごせる、この時間は もう戻ってこないよ (´・ω・`)

関連記事