気持ちを軽く…第一部

はいっ! 春だから!という理由で、春に由来する記事を連発しまくっている私です。

なんでも、春に結び付けられるから、いい加減なモノです。

春って気温が暖かくなるからっていうのもありますが、体調を変化させる時なので、睡魔がいつもに増して襲ってきますね。

(´Д⊂ヽねむいけど、動かなあかん~ って時、私 この曲で目を覚まします。

3周くらいしたら、動けるようになります (´Д⊂ヽ

さて、前回の記事で、この時期ヤバイというような事書きましたね。メンタル的な事で。

という事で、これに対する対処の在り方について書いてみます。

気持ちを楽にする考え方

結論:前提条件として

先に結論を言います。

  1. 他人に構うな
  2. 自分に注視する
  3. 楽観的になれ

ざっくり言うと、結局こういう事にならざる得ないという事です。
とはいえ、言われればそうだけど…というのはあります。

実際に行動できなければ、意味が無い訳で、それに行動を伴えるかどうかは自分の気持ち一つなんですが、行動を促すにも納得がいかないと動きにくいと思うので、私としては文章では理屈というか理論というか、そういう所しか書き残せないので、そこ書いていきます。

私の性格上の問題ですが、優しく書いてるつもりでも、性格がドSなので、ちょっと優しくないように見えるかもしれないけど、私の半分は優しさでデキていると自称しているので、そこは信じて欲しい。
少なくとも、生徒さんに対しては絶対にそうだと断言できる(笑)

もっと自分自身を自由に

失敗する~当たり前体操

人はどうであれ失敗する。失敗から学ぶ生き物だし、これはAIの機械学習であっても回数を繰り返すことで精度を上げて行くという、この原理は変わらない。
どれほど優秀であっても、失敗からは逃れられないし、優秀な人間は、人より多くの失敗を短期間に繰り返しているという事になる。
勉強で言えば、いかに多くの問題・過去問をこなして自分の苦手ポイントを抑え対策しているかという事である。

だから、失敗で、あなたが落ち込む事はない。
失敗で大切なのは、その失敗を生かせるかどうかに他ならない。
失敗という経験を生かせないのであれば、ただの愚か者でしかない。

あなたは素晴らしい。それに例外は無い。

一人ひとりに素晴らしい所がある。 でもそれは他の人と比べて…という事になるけれど、人と比べる必要も無いし、比べなくても、あなたの存在は素晴らしい。生まれた瞬間からも。

自分の良い所というのは、自分では見えにくい。
だから、自分自身に自信が無かったり、自分に対して価値を見出しにくいというのは、どうしても自分自身から自分自身を見るからそうなってしまう。

人でも、会社でも本人自身というのは見えない。だから第三者機関というモノがあったり、比較という方法でその違いを知ることになる。 

その違いが分かったのなら、あなたの長所をもっと伸ばしてあればいい。
あなたの良い所を、もっともっと大空へ羽ばたく位に。

他人に振り回されなくて良い。

あなたが良い人であれば。良い人だけであるほどに…。 
あなたの周りにジャンクな人間があなたに仕事や用事など、何らかの要求をしてくる事がある。

あなたはそれを叶える事が良い行いだと思っているかもしれないが、そうではない。
あなたがしたい事ならすれば良い。でも、あなたが「それ」をしたくないという事を無理にするなら、そんなモノはしなくて良い。

他人の人生。他人の欲求を叶える為に、あなたの貴重な時間を使う必要は無いし、あなたがその責任を取る必要も無い。

嫌な事や嫌だとハッキリ言って良い。 他人の責任や時間まであなたが負担する義務はどこにもない。

がん細胞を相手にする必要は無い

嫌な事の多くは周りからやってくる事が多い。
特に人間関係においては嫌な事のオンパレードとも言える。
良いコミュニケーションが取れれば人と人が力を合わせる事で素晴らしいモノが得られるが、必ずしも、相手が人格者という訳でもない。

ジャンクな人間相手に、あなたが気分を害する必要も無いし、一喜一憂する必要も無い。
そもそも、ジャンクな人間とは哀れな人間なのだから。
同情するべき相手なのだが、この現代社会。そんな所に時間を使うのが、そもそも惜しい。

ジャンクな人間は相手の気持ちを考えない。
ただ自分の欲望のままに生きる。
がん細胞のような動きをする。

そして、あなたがそこに感情をこめれば、冷静な判断が出来ず、相手の思うつぼとなる。

がん細胞の場合は、放射線で殺す事もデキるけれど、法治国家の中では誰であっても殺人は許されない。ならば距離を取るだけの話である。

ジャンクな人間を気持ち良くするために、あなたは存在している訳ではない。

人間ブランド

様々な人が居る様に、この世界には、様々な会社で働き、様々な学歴を持っている人がる。
もちうる財産も様々ではある。

しかし、持っているお金の量や学歴に対して、あなたが羨ましく思ったとしても、だからといって素晴らしい人間であるという事にはならないし、尊敬されるという事ではない。

ただ、それを素晴らしく感じるのは、あなたがそれを求めるからである。
本来ブランドとは、一定の品質の事を表すモノだが、ブランディング戦略の弊害で、ブランド=素晴らしい と勘違いしている人が多い。

あなたの素晴らしさは、お金の量で人間の価値が決まると思っているのなら、あなたはお金を作り続けなければならない。 だが、資産家という理由だけで後世に名を遺した人はあまり居ない。ロックフェラー財団や、今もなおも権力を持ち続けているのならともかく、 ナイチンゲールやヘレンケラーエジソンやノーベルも、お金や学位があったから、後世に名が残っている訳ではない。

お金や地位・学位があるからといって、決してあなたより素晴らしい人であるという根拠は何もない。

余談ではあるが、お金。つまりは紙幣というのは、それを欲する人間の数が多ければ多い程にその価値を増す。誰もが欲しないモノは価値を持たない。価値を持たせる為に偽造においての刑罰は類を見ない。

人を殺した場合、それこそ初犯なら5年で終わる刑罰。人を殺してもこれ。
だが、『ただ紙切れを 複製した』 というだけで、 3年以上~無期懲役 となる。

普通に考えたら 「印刷=無期懲役」というのは、

間違いを認める勇気。

『失敗するのが当たり前』でも、それを生かしきれないのは『間違いを認める』事が困難だからということもある。

作業そのものよりも、この価値を持たない。プライド。 私が好きな言葉というか、私の中の標語にもなっている『クソの役にも立たないプライドなど捨ててしまえ』という事がある。

間違った結果よりも、それを認めるという事。それに全力を向けてやってきた以上、その間違いを認めるという事は、自分を否定する事に感じるかもしれない。

しかし、実際あなたは、成功したいと思っているのであれば『失敗を認めない自分自身』というモノそのものこそが、あなたの成功を邪魔している一番の弊害である事を思い起こさなければならない。

正しく行えた事も素晴らしい。 だが失敗した事もまた素晴らしい。

誰しも子どもの頃に、オセロというテーブルゲームをしたことがあろうだろう? もし、この理屈が分からないというのであれば、あなたは オセロというゲームですら、何も学ばなかった事になる。

あなたの責任を取るのは、あなた自身である

あなたの責任は誰が持つのか…。当然、あなた自身であるという事は反射的に答えられると思う。

では、あなたの『気分』に対してはどうだろうか? 
結構、他人の責任にしたり、責任転嫁している事が多いんじゃないだろうか? 

ジャンクな人間は全て自己責任という概念が薄いので、何か少しで気に入らない等、気分が悪くなると『気分を悪くさせやがって…』という言葉が出る。

あなたがどう考えようが、どう思おうか、どう喜怒哀楽をしようが、その全てはあたなの責任の元で管理された感情である。 

あなたが不幸だと感じ続けるのも
あなたが幸せだと感じ続けられるのも
あなたの気持ち次第である。

なら、あなたがどういう気分でいたいのかは、あなたが決めれば良い。

自己嫌悪しても事態は変わらない

『言葉』には『言霊』と言われる様に、言葉には力がこもっている。 
だから、不平不満を言えば、あなたは決して幸せな気分にはなれない。
自己嫌悪に陥っている時は、その言霊が自分自身に向くから、尚の事 自己催眠にかかりやすい。
不幸な自己催眠をかけている状態が自己嫌悪の状態であり、当然ながらそれで幸せな気分には決してなれない。

私のこういう所がダメ…。 思い当たる事は沢山あると思う。
私だって自分自身の能力に満たされているなんて事は無い。
ハッキリ言って馬鹿でダメダメだ。堕落するし、横着だし、めんどくさがりだ。
カッコ良くもなければ、モテもしない。 ε- (´ー`*)フッ

ただ、そんな事を嘆いた所でどうしようもない。
どうにもならないのなら、そんな事に一喜一憂しても仕方ない。

自己嫌悪に陥ている暇があるなら、まずマイナスの自己催眠をやめて、解決策に頭を使うべきだ。
そうすれば、未来が見やすくなるし、自尊心を守る事もできる。


と言う事で、第一章はここまでにします。
というのも、連続で入力してたら、腕疲れてきたよ ( ゚д゚ )

では また来週~!(*’ω’*)

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