今日はちょっとハード目に行きます。 でもブログ書きながら、文字校正も文書見直しもいつも通りせず、勢いで書くので、そこは No突っ込みでヨロ~|(゚∀゚)
というのも、最近色んな組織の 経営者・管理者と話していても、大体同じネタ。
そして、従業員サイドと話していても、大体同じネタ。
総じてその原因というのが『頭を使わなさすぎる』という事が原因で発生している事です。
これは、年々 特に人を観察していると、私も良く感じる事です。
なので、今日はちょっとハード目に、いつもボンヤリで、適当な事しか書いてない記事ばかりですが、ちょっとこれをきっかけに考えて欲しいと願うばかりです。
そして、HEARTSで資格取得を目指している方、合格した方にも是非一考して頂きたいと思います。
目次
そもそも論として、教育って何なのか
私が教育者の端くれだから…という事は今回、外して考え、単に理屈だけで考えます。
教育者の端くれだから、教育が大事なんて言うつもりはありません。勿論大事ですが、教育者だから…ではありません。1人の人間。1つの生き物としてというレベルの感じで書きます。
例えば、日本には3大義務というのがあります。
- 勤労の義務(働いて国の為に生産力を担え!働くと犯罪率も減り良い事づくめ!)
- 納税の義務(働いた結果を上納しろ! 国があるから民があるのだ…的な発想)
- 教育の義務(子どもに教育を受けさせろ。子どもを労働力として使うな!)
簡単に言うと、こういう事です。
この3つの中の 勤労と納税 については『今』の問題の解決の為の義務ですが、1つだけ教育だけが、唯一『未来』についての義務となります。
吸い取る時は、ガンガン吸い取り、出す時はメチャクチャ渋るのが基本系の国ですら、この教育というモノがどれほど重要なのかを分かっているから、各家庭に無料で授業を受けれる環境を整備している訳です。
逆に今しか見ていない状態。国として未来を見ていない国はどういう事になるかというと、単純に労働力としての子どもという事になり、学ばないから発展が無く、現状維持を保っているのが精いっぱいという事になりますが、周り(世界)はドンドン変化していくので、事実上 後退しているという事になります。
日本の子ども達にとっての多くが勉強をするという事を嫌いますが、贅沢にも学ぶ環境が用意されているという事のありがたみを知らないから起こる現象なのですが、時を同じくして世界に目を向ければ、そもそも先生が居ない。学校まで通える距離に無い。兄弟の世話をしなければならない。お金が無い。家計を助けなければならない。戦争に巻き込まれる。親が無学なので、勉強なんてせずに家の仕事をやらされる…。
という事が普通にある訳で、結果的に読み書きができない。計算がデキない。故に仕事が選べない。総じて社会から取り残される…という事になります。
これは日本でも柔軟性に欠けてしまうと、同じ様になりますね。
『教育』=『未来への投資』
教育、または学ぶという事を考えた時、イメージするのが勉強しているシーンかと思います。
例えば、こんな感じの?
これは、勉強している最中の風景であって、これが別に教育そのものでも何でもありません。
教育というのは、物事を教える側から見た側面の行為を言っているのが教育です。
文字通り『教え育む』という事です。しかし、教育というのは物品やサービスという事ではなく、一方が頑張れば何とかデキるモノではなく、本来は自分で学び、自分で育むしか方法が無い訳なので『学育』と書く方が正確です。これは学ぶ側から見た側面の言い回しとなります。
教育というモノが、未来への投資である以上
未来を見ていなければ、そもそも教育や学びに全く価値がありません。
ちょっと車の運転免許を想像してみて下さい。
自動車免許の取得率は非常に高く、こと大学生とかが就活の為にという意味で、親御さんの推奨もあり、取得される事があります。
自動車その物は非常に便利です。『自由に移動できる』
この自由というのが、地理的なモノ。時間の制約。感情の制約の様々なモノの制限を解除してくれます。また『自由に移動しない』という事も可能です。つまり車中泊の様に、その空間を家の代わりにする事も可能です。 災害時ではバックアップ用の家があるようなモノです。
非常に便利なモノではありますが、多くの方が、取得後にあまり乗らない。又は全く乗らないという事で、ペーパードライバーになるケースがあります。
免許を持っているけれども、運転する事もデキないし、運転する楽しさも知らないまま、免許返納時期の年齢になって終了させます。
免許その物は一生モノですが、反射的な運動能力を有する事から、せいぜい70歳まで位が有効な国家資格という事になり、ペーパードライバーの場合は、身分証明書としてのみ利用しているケースが多く、簡易な身分証明する為に30万近い金額を支払い、5年に1度の更新をするという事になります。
身分証明だけなら、原付免許でも同じ免許の形で 1万円もせず取得できます。
そもそも、その運転免許は一体、何の為に取得したんでしょうか?
① 免許を取得したら履歴書書けるかも
② 免許を取得して、知らない世界をドンドン広げていきたい
① の場合は、取得する事そのものがゴールになっていて取得が目的となっています。
② の場合は、取得は手段であり、その先の未来の為に取得しています。
ここが学びの分岐点です。
この未来を見ているのか…が、その後の人生が大きく変わってくる訳です。
例えばパソコンの場合だと、情報処理検定1級を取得する。それが目的ならそれで終わりです。取得した事に満足して終わりです。使う事も無いスキルを手に入れただけに過ぎません。
そしてスキルは利用しなければ衰退します。
それでも、私が初心者は… という条件の中で資格取得を推奨するのは、初心者の段階であればパソコンに対する自信が無いからです。
何かをやりたい!と思う前に、どうしていいのか分からない。 壊したらどうしよう…という不安を 短時間で払拭する為には、触り倒す事であり、その為に資格取得を推奨しているのです。
ちょっとキツイ言い方かもしれませんが、実益を考えた場合、 情報処理1級を取得したという事で満足されているレベルでは正直キツイです。
1級の取得ができて、ようやくスタートラインという感じで、逆に言うなら、その程度も使てないのに、何かをやりたいって、一体なのが出来るの? というのがリアルな所です。
生徒さんの中にも時々、お聞きする事があります。 就活する訳じゃないから資格は取らなくて良い…と言う感じで。勿論試験そのものを受ける必要の是非は、正直私もどっちでも良いです。デジタルの世界では完全な実力主義の世界ですから。
でも、ちょっとキツイかもしれませんが言わせて頂くと
ワープロ検定1級 程度が取得できない実力で、文書を効率良く作ろうというのが難しい。
情報処理検定1級 程度の取得ができない実力で、表計算を効率良く使おうなんて難しい。
プレゼン技能検定1級程度の取得ができない実力で、昇進しようなんて、なお難しい。
だから、まず基本を短期間で叩き込む。その為の資格取得です。
資格取得は、ただの手段であって、就活の為に存在する訳じゃありません。 もちろんそういう側面も持ち合わせているのですが…。
私がパソコン関係なく、色々な資格の勉強をするのは、体形的に短期間で知識を吸収できる仕組みが出来上がっているから、色々な資格の勉強をし、取得しますが、所詮何かをする為のツールであり、それ以上の何物でもありません。履歴書に書きたいとも思わないし、そもそも全部書いたら履歴書に書ききれない。
ですので資格を取得した…。合格した。それそのものは素晴らしい事ですが、それはあくまでスタートラインに立ったという事です。
これは資格だけではありません。 大学に入った。就職した。
その全ては、スタートラインに立ったというだけで、そのスタートラインから一歩を歩みだす為のツールがこれまで自分が学んできた知識をベースに、さらに新たな知識をネタに、さらに世界を広げていくに他なりません。
ですから、大人・子ども関係なく、教育とは常に未来への投資であり、その未来が見えている人間にとってのツールで、未来を見ず、今しか見ない見ようとしない、投資という発想が無い人にとっては、何の価値も無いツールです。
未来が見えない。見ようとしない
えぇ。未来なんて見えませんよ。誰にも。
そう、これから起こるであろう時間の事なんて誰にも分からない。
でも、シミュレーションはできます。
逆にいうと、それしかできない訳ですが、このシミュレーションのデキる範囲が根本的に違うという事です。
天気予報を想像してみてください。
昔の人は、季節や気温や肌での感覚みたいな、長年の経験的なモノでざっくりした天気を考える事はできました。知っている情報が少ないからです。
さらに昔に行けば、神に祈って雨ごいの儀式をする事で雨を懇願しました。
でも現代はどうかというと、地球全体の地殻形成から気温・風向、海面温度などを地球規模で観察してそこからスーパーコンピューターで演算したりして結果を算出しますが、この全てがシミュレーションです。
過去から現代にかけて、シミュレーションできる幅が圧倒的に異なっているという事はありますが、シミュレーションである事に違いはありません。
未来が見えないというのは、同じく、持っている知識量・その活用方法を知らない、または知ろうとしないが故にシミュレーションの許容範囲が狭すぎるが故に見えないでいる事です。
例えば、先ほど上で書いたようにスタートラインという事も考えて図化したのがこうなります。
知識や見聞を広げると、エリアを少し広げる事ができます。
広げると、一定のエリアの端っこらしき所まで来て、そしてそこからさらに新たなスタートが始まります。こうして一般的には年齢を上げていく事で、経験や失敗を繰り返し、見える世界が広くなっていくという事ですよね。
だから、小さい子が飛び出したりすると、親は、まわりを良く見なさい! と注意する訳ですが、これは大人本人もまた、死ぬまで同じ様に常に周りを見て観察し、見える世界を大きくしていく事が必要です。
もっともそれは、物理的に目という視覚で見えるか、考察によって見えるのかという違いはありますが…。
枠の端に達した事で満足して終わってしまっては進歩がありません。
他にも、1つのエリアを大きくしていくというのが基本系に対して
異ジャンルを同時に広げていくという手段もあります。
こうする事で、また別の視点、別のエリアを見る事ができるスキルを身に付けますが、絵の様に水色であり、ピンクでもあるという両方を上手に使いこなせれば非常に強力ですが、水色でなければならない…という頭の固い人には、この方法は使えません。
他にも、さらに応用技を使うと、会社組織の様な形態もあります。
一般的に会社というのは、複数の人間で構成されます、それは多様性を持つ事でさらに広い世界を見る事ができるからです。
『人と違う』が力を発揮します。
多様性が素晴らしいというのはその点です。
就活で求められるスキルとして、コミュニケーション能力というモノが常に上位にありますが、これはこうした異なる人間の特性と自分の特性を上手に使いこなす事で会社としても、さらに大きくなれる可能性を持つからですが、単に連結するだけでは効果は発揮しません。
言われて動く人間・言わなくても動く人間
以前に中学生にプレゼンの授業の中で、生徒自身が『言われなくても動ける人間になる必要がある』という事を言っており、おっ( ゚Å゚) < エラいな~ って思ってみてました。
それに対して、『言われて動くなら、その方が正確じゃないのか?』 という生徒も居ました。
なかなか中学生らしくて良いですね。 そういうの好きです。
大人が同じ事言ったら (゚Д゚)ハァ? ですけど。
この中学生の頭の中をちょっと図化しましょう。多分、こうなっていたんだと思います。
二択で選ぶという感じでしょうか
でも、実際はこうではありません。実際はこうです。少なくとも私の感覚では。
こうして見ると、誰が良いかわかりやすいでしょうか。上に居るというのは、下の能力を兼ね備えているという事です。つまり、一番有能なのは、自分を引き上げてくれる能力を持つ子と一緒に働くのが一番ベストという事になります。
自分自身の市場価値
人の価値というのは、一言では言えません。
しかし、資本主義経済の中にあっては、一言で言ってしまえる程、簡単に表す事で、評定する側は選びやすくなります。
それが、学生の場合は テストの点数であり、就活なら、学歴フィルターというモノです。
そして履歴書に書く資格もそれになります。
資本主義において、大事なのは直接的なスキルではなく、そのスキルが生み出す生産性です。
ですから、ワープロ検定1級を取得しようが、そこから何かを生み出さないのであれば、その人にとっては市場価値は生まれません。
記事の最初に書いたように、それが目的か手段かという事の違いです。
資格を持っていなくても、ワープロを使いこなし、柔軟に瞬時に対応できるスキルを持っている人間の方が相当に役立ってくれます。
だからといって、資格が無意味だとは思わないで下さい。 短期間でスキルを上げるには合理的な手段だし、一定のレベルの計測としても役立ちます。 大学入試時や転職時に優遇されるのは事実ですが、検問的なイベント以外では、完全に実力と頭の回転(柔軟性)が求められる訳で、その実力と回転はベースとしている知識量・経験量がモノをいうので、最初は取得を目指す事は、様々な観点から見ても合理的手法です。
ただ『目的』と『手段』を間違えるな… という事です。
市場価値を上げるには
さて、ここまできて、ようやく本題らしい所に入ってきました( ゚д゚ )
さて、ここまで読んでいて、ただ漠然と資格を取ったからOKって事では、無いという事をご理解頂けましたでしょうか? それが分かって頂けていたら大丈夫です。
では、実際に自分の試乗価値を上げるには…という事ですが、自分の市場価値を上げてそれを評価する場所が異なると、評価基準も変わってきます。
① 就活などの検問的な状態で見せる市場価値
② 会社に入ってからの市場価値
③ 社会全体の未来における市場価値
という感じです。
① 就活などの検問的な状態で見せる市場価値
① 就活用の市場価値はとりあえず、ハッタリがかませるというのがあります。もうこれはココではあえて言いません。上にも少し触れましたしね。
② 会社に入ってからの市場価値
いわゆる社内で必要とされる人材たるか…という事です。
社員として必要なスキルは、職種にもよりますが、例えば営業であれば、売上を上げれるか。企画屋なら、安定したマーケティング戦略が組めるか…とか、もう職種によってその辺は異なります。
これは、今現在だけで考えた場合ですが、社内で必要とされる人材となり、昇進・昇給を目指すのであれば、今の問題解決だけでは足りません。
さらに上の提案力というのが必要となります。
提案力というのは、問題を見つけ出し、その解決策のルートを描き、現在の会社の力・環境で解決可能な複数のシミュレーションを描き、実行まで移させ結果を出す。という流れです。
この部分だけでも、深く掘り下げたら、何記事書かないとあかんのやろ…( ゚д゚ ) というレベルですのでザックリ言うと、問題を問題として認識できるかどうかは、いかに日常的に外部を見て観察しているか…という事が求められます。
今、目の前に起こっている問題であれば、それは比較的容易に解決できます。
既に、現象として表れているというのは、その原因が特定しやすいという意味で容易です。
逆に大変なのが、今現在 目に見えてない問題点です。
目に見えていないが故に、問題を問題として認識できていないという事です。
その事で、多くの損失を出しているとしても、それに気付けてないというのが問題なのですが、見えていないからこそ、それを見える化させるには、比較しかありません。
例えば、この黄色と黒の四角を見て下さい。
同じ大きさの色違いの四角が並んでいると理解すると思います。
でも、実際これを重ねて比較すると
どれほどのズレが生じているのかが明確に分かります。
この様に比較対象というモノがあって、初めて物事がどういうモノなのかを理解できます。
人も同様に、自分より身長が高い人が居て、比較するから自分は大きいのか、小さいのか全体ではどうなのか…という客観性を持つ事がデキる訳で、無人島に1人であれば、そもそも、男女もカッコ良さも何もなく、ただの生命体が1匹いる… という感じで終わりです。
この客観性を持つ為に必要なのが、外部を見る、興味がある無しに関わらず『アンテナを張る』という事で、惰性で日々過ごしている人には、観察が無いので客観的に常時、比較と言う事が出来ません。
結果的に、問題を問題として認識できず、漠然と今現象として起こっている出来事に対して不満を言う事位しかできません。
客観的思考は、今現在の自分が見えている世界の比較だけではありません、もっと大きな世界、もっと異なる価値観の世界、現代だけでなく、過去に起こった事等、時間軸も地理的要因も関係なく全てが比較対象となり、多くの物事を観察・分析し、知識として蓄えているかという事です。
私が情報化が本当にありがたい…と思うのは、Googleので情報を瞬時に引っ張ってこれるというのが、こうした比較が簡単にデキる事、Excel等によって分析する事も、離れた所からでもPowerPointで解決策を提案する事も、英語が話せなくても、ボタン1つで全部 英訳和訳ができる事。 ボタン1つで海外に情報を送れる事…。色々な側面でこのネットワークの力の恩恵を日々受けている立場としては、ありがたい限りです。
だって、昔だったら頭良い人が物事を知っていたけど、今はみんながその知識を共有できる訳ですから簡単に…。これを使わない手って無くないですか?
という事で、ここまでの話をザックリまとめると、教育という側面にはこんな感じになります。
こんな事書いておいて、何ですが私自身は別に勉強が好きという事は無いです。
むしろ、勉強なんてせずに遊んでいたい。
でも、知識を得る・活用するという利点については無視できない所があります。
その知識があるからこそ、遊びその物がさらに高い質へと変わって行くからです。
より楽しみたいから学ぶ。という感じです。
③ 社会全体の未来における市場価値
さて、最後になります。未来における市場価値。
これまで話してきたのは、現段階での市場価値ですが、未来での市場価値ですが、全ての現象は一定の時間に留まる事はデキません。常に動いています。
ここで時間とはを語り出したら、またトンデモナイ寄り道になるので、分かりやすい様に、過去から未来に向かっての時間の流れに乗っているという価値観で考えます。
車で例えて見ます。
一番最初、上の絵の状態では、止まっている赤い車があり、その後ろを水色の車がそれを抜いたとします。 日常のどこにでもある普通の風景です。
赤い車:頭の固い人、変化出来ない人
青い車:常に学ぶ柔軟性のある人
としてみて下さい。
柔軟性があるから、頭の固い人のスキルを上回っていく。 これだけ見れば、そかなって理解しやすいですね。
問題は観察者がどこから見ているかが大事です。
量子物理学の世界でもそうですが、科学においては、この『観察者』がどういう状態かが非常に大事です。
客観的にこの2台の様子を見ている状態では、青い車が抜いて走り去った…となります。
では、赤い車から観察している人間にはどう映るでしょうか?
それは、自分が後退した と映ります。 止まっていると認識できるのは、周りの景色が変わらないからです。
では、周りの景色も同じ様に流れたら、赤い車から物事を観察している人間には、ブレーキを踏み込んでもドンドン後ろに流れているように感じられるはずです。
これが、今の世の中です。
赤い車:頭の固い人、変化出来ない人
青い車:世界
壮大な大きさの青い車と景色が同時に前に進んでいけば、赤い車の搭乗者は、何もしてない。何も動いていないのに、ドンドン後ろへ後退していく事になります。
先ほど、黄色い視覚と黒い四角を使って、比較する事で、物事は理解できるというお話をしましたね。
これも、それと同じです。
世界と言ってしまうと、漠然としますか?
では、もうちょっとクローズドな世界で考えましょう。
赤い車:あなたの職場
青い車:一般的な職場
こうすればちょっと想像つきますか?
あなたは、同じ職場、同じ仕事、同じ作業・同じタスク・同じスケージュールを、何年もする中で、そのタスクの処理については非常に有能になったかもしれません。
だから、今は問題なくスムーズかもしれません。
しかし、外の世界では、外の職場では、もっとドンドン加速しています。様々な技術が応用され、もっと早くもっと簡単に物事が進んでいます。
しかし、今の職場という場所から観察している人にとって、車内(社内)の心地良さは手放せません。自分達が後退していても、みんなが後退するならそれでもいいかも…という気持ちもどこかにあるかもしれません。
職場を変れという事ではありません。
的確に自分のポジショニングを理解する為にアンテナを張る事の大切さという所です。
そのアンテナも知識量が必要です。
そして、最もコスパがいい知識の吸収がデキる媒体が 本です。 激安です。
他人の人生の経験と時間をこれほど安く手に入れられるなんて、こんな攻略版みたいなモノを見ずに、テレビみて、情報操作された内容を信じて、毎日終わるって、人生勿体ない~って…。これは私の価値観ですけど、非常に勿体ない時間に感じます。
人生の残り時間をよく寿命で捉えられる事がありますが、寿命間近の末期なんて、やる気も気力も体力も何もありません。自力で生活も困難な状態で、何かをするなんて事は、尚難易度が非常に高くなります。
自由に行動できる時間というのは限られています。
税金を納める事なく、働く事もなく、家事をする事もなく、お金を与えられる学生時代・・・・。
人生のボーナスタイム。学生はそれをよく理解する必要があります。
大人も日々仕事で…という事はあるし、日々のルーティーンワークの中で、自分の可能性から目をそらしている人凄く多いです。もっと自分の可能性信じてみてください。
特にHEARTSの生徒さん。 資格取得したからって、そこで満足とか ほんと、そんなレベルで止まるとか勿体ない! 目的と手段間違えてはいけない。
そして、勉強嫌いで、横着で、凄いめんどくさがりな私が言います。
なんだかんだ、一番コスパが高いです。 勉強って。いや、新たな知識と経験を得るって、そこから得るモノの等価交換のボーナスがこれに勝るモノは無いという程に。