私が教育者である理由

教育者の端くれである私は、日々、何らかの教育を行っている訳で、過去にさかのぼれば、営業時代ですら、営業であっても、顧客が良質な選択が出来るように、教育する・育むという意味では営業職というのもある意味では教育者という事になります。

教育者とは時に『聖職者』の1つとも言われます。

ちょっと過去に遡ってみます。

HEARTS誕生のなれそめ

私が、会社を辞めHEARTSを立ち上げたのは、色々な理由があります。

  • 自分のスキルを会社の為ではなく、自分の為に使いたいと思ったから
  • 社長の側ではなく、自らが社長にならないと、トップの苦しみを体験する事ができないから。
    (→ 苦しみを知らない状態での知識はただの机上論なので『経験』が必要だと考えた結果)
  • ( ゚д゚ ) オレは海賊王…、 10年後に社長になる!と宣言して、10年経ったから。
  • 社内の縛りがあると、自分の成長に制限がかかるから。(会社という存在が足かせになってきた)

とかとか…。その辺が理由です。

会社員時代は非常に快適に過ごしていたし、毎日ホテルのビュッフェで2時間ランチしてのんびり仕事する、寝る…という、辞めるというのは勿体なかったけれど、人間ぬるま湯に浸ってる時に、ぬるま湯に甘んじていては絶対に後から後悔すると思ったので、ぬるま湯(余裕がある)時にこそ、ワンステップ上の苦難への準備をするべきだと考えた訳です。

その読みは正解だったし、後悔はしていません。

独立して、ビジネス的にゴリゴリに戦略を組む事もできたけど、そうはしなかった。
純粋に『教育』というものと向き合ってみようと思った訳です。

何を甘い事を…

と思われるかもしれないけど、人生の中で 感じたままに事を成す。という時があっても良いじゃないか( ゚д゚ ) 位な感じです。

だから、1,2年 HEARTSをやって、後は誰かに現場を任せて、大好きな不動産事業へ転職しようと思っていた訳です。

(`・ω・´) 何千万・億単位で お金が動かないとワクワクしない

こんな感じだったからです。

宅建士・賃貸経営不動産管理士・住宅ローンアドバイザー・ビジネス法務…。 元ある営業スキルと、デジタルスキル、 ブラック企業でも対応できる健康とスタミナと戦略的思考に経営者的思考。 

新しく不動産会社を立てたら良いとも言われたけど、不動産業界はそんな甘くないので

(*‘ω‘ *) ただ働きで良いんで、私のスキルをお使いください!!

という感じでも居た。もし会社設立するなら、それは当たり前の通過点だと思う。
仕事をお金の為だけにやる というのは本当にツマラナイ。  つまらな過ぎる人生。
自分がワクワクできるタスクを得る為なら、自分の数時間の時間位、くれてやれ というのは今も変わらない。その分、無駄な浪費時間は極力減らす。

サラリーマン時代は結構ストイックだったし、自分の身体の状態よりも、仕事第一という感じだし、そのまま燃え尽きても良いかなくらいな感じでした。

ε- (´ー`*)フッ これぞ若さって感じだね。

でも、HEARTSで色んな生徒さんと出会い、教育と言うモノの奥の深さに、自分自身が学ぶ事となり、なんだかんだ、まだこの席に居る訳です。

我が子でやる幼児教育

私は昔、自分を教育者なんて思っても無かったし、あえて〇〇というカテゴライズするという事もありませんでしたが、知識や経験はある。

でもそれは大人でのやり方で、子どもの教育という事において、私の教育理論は通用するのか? というのがありました。
つまりは、特定の条件でしか発動できない理論なのか、年齢や相手の状況にさほど影響受けない理論なのかを検証する必要性がありました。

とはいえ、私の理論なんて程、なんか大したモノではありません。

民間企業で普通にやる、戦略と戦術・問題解決 という元々、 企画・戦略系を得意としていた私にとっては、そうした普通の事を、子どもに当てはめたという事です。

『最小の力で、最大の効果を得る』

子どもに勉強を無理強いしたくないし、勉強以外から学ぶ事が多い。だから座学で時間をあまり使いたくない。

私の子ども時代がそうであったように、『誰かが作った方程式を暗記』するより、『方程式を自分で構築できる』人間になって欲しい。
だからこそ、この世界の普遍の原理原則を最初に叩き込む。 という事をしました。

数学的・科学的・人間的・心理的… と多角的に。

例えば、印刷に使うプリンターは、C(シアン)M(マゼンタ)Y(イエロー)K(ブラック)の4色のインクによって表現されます。

この4色のインクを組み合わせる事で、実に 104,060,401色を表現可能 です。 
4色で1億色強の表現です。

学校教育でやるのは、この1億パターンをのらりくらり教える事ですが、私が教えるのは、4色と組み合わせの原理です。

時間を無駄にしたくない私としては、一般的な学習ステップより、優先度、利用頻度の高いモノを中心に数学は座学や経験で、科学は体験で、人間的なモノは経験と一緒に過ごす時間の中で、側にいるときは、常になんらかの教育をしていたように思いますし、そうした時間を凄く大事に考えていました。

そこまで急ぐのは『時間』です。

親が子どもと一緒に入れる時間、そして子どもが学ぶ姿勢である素直さがある時間というのは限られる。だから、まだこの年で早いという無駄な事は言ってられない。
何より、子どもはいくらでも吸収する。 

〇才で■■を学ぶ  なんてモノは、文科省が勝手に決めた事であって、そもそも学ぶ項目に年齢なんてものは存在しない。

だから、一緒に入れる時間に、自分の知恵の全てを注ぎ込む。

私が教える事の楽しみは、小学校低学年の段階で、一緒に ビジネスや経済・金融や戦略についての会話をしたかった。
という、話し相手を作りたかったというのもある…。

( ゚д゚ ) これは完全なる親のエゴです

こうした『学習のおいての戦略』『子どもが大きくなっていく過程での戦略』色々な側面の戦略性を持って対応する事で、勉強しなさい という事を言わずとも、高得点を叩き続け、大人と同じ理性と判断を備え、子どもらしさの良い所を残し、感情をコントロールする事を覚え、学年でいえば、短時間に3年先分まで習得を進める事ができました。

同じ学年の子が、やっと数字を覚える位の時に、3桁の数字の暗算、掛け算をしていました。
どこかの塾に入れたりもありません。 私が計算の理屈を教えただけです。貨幣と紙幣を使って(笑)

親の仕事とは何か?

それは、子どもを自立させる事以上にありません。
動物の世界でも、馬が生まれてすぐに立とうとするのは、命を守る為です。
同じく、人間の子どもも早くに自ら立てるようにする事で、優位に生きる事がデキる。

これで、私は 私の教育戦略が十二分に通用すると確証が得られました。
ただ、ここまでデキるのは我が子だからであって、他のお家の子どもにはここまでの事は絶対にできません。 なぜかと言うと、教育者がその家の家庭の母親に依存するからです。

子どもの教育レベル=母親の教育レベル と密接なリンク状態にあります。
それは、各種実験結果でも出ている事で、母親の存在というのは『子どもの知能』という意味でも非常に重要です。

でも、その母親に問題意識がなければ、どれほど正論を伝えた所で、意味がありません。

『喧嘩』と言うモノが、同じ土俵のレベルでないと成立しない様に『正論』もまた同じ土俵に立ってくれないと、何も伝わらないのです。

一般的には、子どもの成長のカギのかなりの部分を母親が占めている。

あっ、別にパッパが不要という意味じゃないよ。
保護者が…という言い回しが正確かな。

離婚する

こんな事を Blogで書くべきなのかは、分かりませんが、隠し事をあまりしない性格なので書く(笑)
そもそも、日本の夫婦の 30%以上が離婚するんだから別に特別な事でも何でもないしね。

離婚して、1人になり。色々思う事もありました。
大阪を離れて、湘南に引っ越して 海を見ながら、スクールでもやろうかなとか思いました。
でも、今のHEARTSの生徒をほっとくとかもデキない。大阪で取引している業者さんもある…。
関東に行きたかったけど、これは断念。

こんな色んな考えの中の1つに本能的なモノがあります。 
生物としての本能的なモノ。

(`・ω・´) あっ オレの遺伝子が残らない (笑)

理性的なというよりも、これは生物本来の欲求的なモノなので、どうしようもありません。

私の遺伝子とはいっても、私はカッコいい外見をしている訳でもないし、ただのオッサン。

( ゚д゚ ) 基本 モテない!! 生物として対(つい)となる女性からの私の評価は低い ( ;∀;)
もう、この段階で、ある意味で生物的にアウトだろって思うけど(笑)

ただ、ガン家系でもないし、ハゲ遺伝子も無い。 と思うと、ちょっと惜しいかも(笑) とか思ったり、思わなかったり…。

そして、私の考察が入る。

そもそも、遺伝子を残すとは何か? と

遺伝子を残す根本は、私の知識、経験を引き継ぐことで、次世代により安定した環境を得る為のスキルを伝承する仕組みを生物学的に行う事だと考えられる。

であれば、DNAという生体を利用しなくても、人間の場合は、情報伝達に 文字も記録する用紙も、そして情報化時代、デジタルデータとして、ネットワークを使って、どうにでもデキる。

そして、私が得たスキルを、私の生徒となる次世代の人へ継承する。
私の考え、私の技術が継承した人を助ける。
その人に子どもができれば、その子どもが継承するかもしれない。

私と接触した人の人生になんらかの影響を与えれば、その後の未来にも影響を与え続ける事になる
なら生体による継承ではなく、情報として継承すればいい。

生物学的に私に似た生物。つまりは子どもと言うモノは無いが、そこに拘らなければ良いし、何よりこだわるという事が嫌いな性格だから、自分の中で納得できた。

『知識を継承する事』+『業』 それを組み合わせたのが『教育業』

HEARTSをしながら、役立つ何か、相手が持つ苦しさや問題を解決する術を提供する事が、私の1つの生きる意味となる。

という 解 を得て、今も教育者の端くれとしている訳です。

消耗品を販売するのでは、何も継承はされない。
でも、知識や知恵は継承される。そして奥深い。なぜなら相手が人間だから。

知恵の実

HEARTSの中では、パソコンとか関係なく、様々なジャンルについて質問があれば、それに応える。

でも、基本的に私は、外では(プライベート)では、質問されても教えない。

その辺の線引きは、結構キッチリしてる。

なぜなら『知識とは武器』だからです。

なので、教えてよ~! と言われれば

(*‘ω‘ *) 知恵の実は独占してこそ価値がある

と返します。

旧約聖書の中に、アダムとイブが知恵の実を食べて…という一説は、誰でも聞いた事があるとは思います。

『知恵の実』と同じ様に、対になって言われるのが『生命の樹の実』があります。

生命の樹は、エデンの園の中央に植えられ、その果実を食べると神に等しき永遠の命を得るとされているモノです。

こういう絵 見た事ないですか? 絵くらいはあるでしょ? これが生命の樹の絵です。
アダムとイブは、エデンの園の どの果実でも自由に食べて良いとされていた中で『知恵の実』だけは絶対に食べるな…と言われていた中で、永遠の命よりも、知恵を選んだ事になります。
騙される、騙されないに関わらず、その選択を得たという事ですね。

生命よりも、知恵。

と言われる位に『知恵』というのは、重要な要素なんです。
今のファッションのトレンドがどうとかとか、そんなモノよりも、命の代えても得る価値のあるモノ。それが知恵なんです。

私は無神論者だから、あまり、いうと信仰されている方に迷惑がかかりますので、あまり深くは言いませんが、ちょっと旧約聖書の内容を参考にさせて頂きました。

因みにですが、私は無神論者とはいっても普通の人より宗教学は勉強したし、仏教もキリスト教も神道も、その他面白そうなの… その上で無神論者という事です。

By 私

つまりは、それほどの価値あるものを、自分が考えるのが面倒だからと、質問してくる相手と真剣に取り合う必要も無いと考えているという事です。

そもそもは、教育を受けられるのは金持ちの子どもだけでした。
酒屋問屋の次の経営者となる息子を学ばせる為に作られたのが、灘校です。

それ以外の子どもは労働力でしたから、丁稚奉公に出されていた訳です。

教育とは贅沢なモノ。

教育を受けれて当たり前とかトンデモナイ事です。

それを理解せずに、勉強嫌~ とか、言うのは、ちゃんと子どもに『学ぶ事』を教えてないからであって、そして どんなちびっ子であっても、身内であっても、学ぶ事に対して敬意を払わない相手に対しては学ぶ事をさせていません。 

目の前に 新鮮な大トロを用意しても、食べるのが嫌というのなら、何も無理に口に突っ込むなんて事はしませんよね。それと同じです。

嫌ならやらなければいい。 それも自由。 
そして自由の対価を支払うという事も当然教えています。
私の側にいる子には。

時折、学校の教員が不退行為により逮捕されたりします。
人間性が成熟していないのに、大学卒業してから若くして先生先生と言われる事で勘違いしている教員も多くいます。

でも、殆どの先生達は、自分の生活、自分の体力の限界まで使ってでも、子どもに教えるという事を頑張っています。

私はあそこまで、人に優しくデキない。だから本当に凄いなと思う訳です。
私が人に優しくできる性格なんだったら、医療業界に行ってたけど

( ゚д゚ ) 性格に難ありw

知恵の話に戻りますが…

本来、優位に立つ為の戦略として、情報封鎖を行います。
つまりは知識を入れさせない様にする戦略です。

多くの日本人が 無駄に税金を払わされて一部の既得権益が蔓延しているのも、文科省が国に都合の良い知識だけを学習指導要領としてカリキュラム化するからです。
本当の事なんて教えたら、反乱起きるもん。政府が一番危惧する事ですからね。

だから本来、情報とは遮断されるモノ。皆さんだって隠し事とかするでしょ?

だけど、知識を遮断ではなく、開放する。
自分の損得をほっておいてでも、相手の為に奉仕する。

それがどれほどまでに利益と相反する行為なのか分かりますか?
資本主義において、無知な労働力をというのは本当にありがたい。それに贖うという事です。(キレイに言えば…)

義務教育…。実際は税金で運用されている訳だけども、当の本人たちにしてみれば無料な訳で。

実質的な無償の愛とも言えるモノです。そしてそこで、子ども達に対して親身になって頑張ってる先生方は本当に凄い。

だから、教育者が聖職者と呼ばれる所以です。
勿論、先ほども言ったように、全員が全員ではありません。 ただシステマチックに教えてるだけとかもザラです。 

ワイセツ・暴行とか、教員の問題もあるけどな( ゚д゚ )

自らの成長を促すのに最も効率が良いのは、良い師匠(良い教育者)を見つけられるかどうかです。
技術だけでなく、人として。

私はまだまだ不完全な人間ですが、そんな師匠な存在に成れたらいいなと思いながら日々、ここで黙々作業しております(笑)

と言う事で、今日はここまで(´・ω・`)

誤字脱字と文章的なミス満載だけど、もう今日は半分意識飛んでる状態で書いたから許してね。

(´∀`) バイバイキーン

関連記事