HEARTSには小学生~そこそこ大人の方まで、年齢も、その職種・職業も様々です。
みんなの経験をした事を聞くのは、私としてはとても価値ある事で、話す事が仕事ではあるけれど、聞く事も同じ様に大事に思っています。
今回は、そんな中の大学生。事1回、2回などの大学生向けに話す内容を書いてみようかと思います。
高校と違って、圧倒的に勉学とは違うフリータイムが増える大学生です。
入学した直後というのは、これまで勉強を頑張ってきたというのもあるし、期待と希望に満ち溢れている状態かと思います。
その学部についてはその業界への夢を持って勉強頑張ろう!となると思いますが、これの足を引っ張るのが『サークル』という存在です。
サークルは、コミュニケーション力の育成という意味ではありだと思いますが、学ぶ為というよりも、遊ぶ場所という感じの場所になってしまっており、学校内の遊び場ですね。
学科の単位は足りないけど、サークルは参加する…という感じにもなっているかもしれません。
私だったら、単位だけ取ればもう、飛び級して早く卒業して実践でその知識を使いたいし、座学の知識を補正したり、継ぎ足したりして自分の糧にしたい所ですが、その様に思う人は少ないかもしれません。
サークルで様々な経験を得る事はとても良い事ですが、大学生の3回あたりから始まる就活においてサークルで培った経験値が役立つという事は稀にしかありません。
大人の目線から見れば、サークルというおままごとをしているという感覚なので、そこに利益を追求する企業としては、そこに価値を見いだせないのは当然です。
でもね。遊ぶ事もやっぱり人生の中で必要だし、その経験から何かを生み出すという事もあるので、全く全てが無駄という事では当然ありません。
恋愛も多いにしたらいいし、バカな事をするのもありだし、無茶がデキるのも20代前半ならできる。
ただ、そうした1つ1つのバカな経験もどうせなら糧にすれば良いという事です。
そんな大学1回生の学生と話していて、就活の話をちょっとしたので、その続きを書いてみます。
目次
友達はライバル
同じ学部、同じジャンルを学ぶモノ同士は、当然ですがライバルになります。
経済学部とかなら、営業に飛ばされるからともかく、理系の学部においては、技術系になるので、ライバルになるのは当然です。
資格試験の様に、一定のボーダーラインなら全員が合格する訳でもなく、経済の状況に応じてその募集定数も決まってくる訳なので、少なくとも今、同じ学部、または別の大学の人間全員がライバルと思って良い訳です。
そんなライバルたちがいる中で、自分という個性を見出す為にはどうすれば良いのか。それを考える必要があります。
就活に学歴フィルターは無いという形になっているけれど、実際はあります。
あって当然なんです。
人事部だって、暇じゃないんです。大企業であれば何万人もの人間の素晴らしい個性を時間をかけて探るなんて事はできません。
当然、就活する学生側にも企業を選ぶ基準は、大手であったり、ネームバリューで選ぶ訳ですよね。
だから、企業も当然ネームバリューで選ぶ。 当たり前の関係です。
ただ、対外的にはそんな事は言いませんけどね。

だって、よく考えてみて下さい。
同じような顔・同じような年齢・同じ髪型に同じ服、同じ座り方・同じ服の着方・同じようなネクタイ
何かを質問したら、同じような回答。
そんな『同じ』を何百、何千の中から、当たりを引くなんて、もうギャンブルです。
パチンコで言えば、一発台で当てるようなモノです。
( ゚д゚ ) 圧倒的 奇跡!!
なので、ザックリ多めに採用。そして育てて、育てについて来れない人間を切り落としてフィルタリングするというのが一般的です。
ボランティア部で●●をしました! というのは、正直どうでもいい。
だからどうしたん? としか思わない訳で、聞かされる側としては、本当にどうでもいい。
●●をした。よりも●●がデキる という答えを端的に教えてくれた方が、面接時間ももっと短く済むのに…。
とりあえず、就活の原理としては、砂金の採取によく似ています。
ただ、砂金は何も言いませんし、自分から出てきませんが、人は違います。
自らの意思でその辺はある程度調整がききます。
自分自身をブランディングすべし
ここでいうブランディングというのは、本来のブランドではな、就活なんかに使われる意味でのブランディングという言葉の意味を想定して書きます。
就活に限らず、社会人であっても、やっぱり能力の差というのは、あまり差がありません。
例えば同じ商品の場合、それぞれの会社が営業してきたとしても、その差は小さい。
集団の中で選ばれるのは、当然目立つ必要がある。 そんな当たり前の事は幼稚園児でも理解しているのだと思うのだがどうだろう?

スイミー という物語を学ぶよね?
スイミーの物語は、みんなで力を合わせるという事ではあるけど、他の個体と異なる事で目立つ事になるという原理を学ぶ事ができる物語で、みんなで力を合わせるという事だったら、桃太郎でも何でもある訳で、ことスイミーの物語のインパクトは『特異性の強み』という事になる。
という事を教える大人があまり居ないのが残念。
スイミーの魚群を見れば、絶対最初に嫌でも目の黒い魚に目が行くわけで、尾びれの魚なんて見もしない…。 これが就活です。
では、目立つ為にはどうすれば良いか。
それは、スイミーでの学び『特異性』を持つ事に他ならない訳です。
他とは圧倒的に異なる、技術なのか、経験なのか、スキルなのか…。それは人によるから、具体的に何かという事ではないけれど、就活生がありがたい事に すべて同じ様に動いてくれるのだからその恩恵を受ければいい『特異性』によって。
1回・2回と時間もあれば、バカもできる、経験もでき、学ぶ時間があるうちに、自分とはこうだ!と人生の物語の中で話したくなる程のインパクトある特異性ある経験をすれば良い。
何より20代の人生で最高峰の時間を、ダラダラするのは、本当に人生の無駄以外の何物でもない。
時間を無駄にしてはダメだ。
死ねば、好きなだけ寝れる。
だから、今は本当の意味で生きろ。 と言いたい。
専門家として『認識』される
私はパソコンの先生をやっているのでパソコンの専門家として思われている節がある。
私よりも凄い人は沢山あるし、私としては、デザインや芸術で遊んでいる方が楽しいし、それなりの拘りもある訳で、パソコンは所詮道具だから、道具に対してどうという事は特に思わない。
私の創造性を形にしてくれればそれで良い程度にしか思っていない。
実際がどうであれ、大切なのは『認識される』という事です。
私がある専門家よりも知識を得ているというケースはありますが、その専門家のジャンルにおいて、私が呼ばれる事はない訳です。
私よりも凄くて専門家でない人が沢山いるように、私よりも能力が無いのに、専門家である人達も一杯いる。
とどのつまり、中身はさほど重要ではなく
周りから、そう認識されている という事が要なのです。
そのジャンルの専門家として認識される為には、その専門としての結果を公表する事です。
就活という事なら、1回生の段階から、自分が得意とするジャンルでWEBを公表し、結果を残していく事です。 少なくともそのジャンルで3年もやっていれば、そこそこプロレベルになります。
大多数と平均を求めるな
『普通はどれくらい?』という事を聞きたがる人がいます。
( ゚д゚ ) 普通ってなんやねん?
って凄く思うのです。と同時に普通を知った所でどうなるのか?とも
普通。つまりは平均。又は 母集団の中で最もシェアを占めているモノ…。
そこに自分のピントを合わせるクセ。 これは本当に子育てというのか、学校教育というのか…。
ほんと良くないよ( ゚д゚ )
失敗をせず、正しい回答を直ぐに求める。
安全な掛け。いや安全だから掛けにすらなってない。リスクを取らない。
今、時代はクリエイティブを求めています。 どの時代もだけど。
今は結構、顕著です。
なぜかと言うと、プログラムやAIが定型作業をしてくれるからです。
その中にあって、労働力としての人は、定型作業を繰り返す事ではなく、創造性をもってゼロから生み出すという事が求められているのです。
もう、昭和感覚のような。人海戦術のようなマンパワーでなんとかするという時代では無いのにも関わらず、未だ教育機関も 見た目の 正解を是とするのが良くない。
正解を導くことが良い。それはそうです。
でも、そこにこだわりすぎて、ステップを見ていないのです。
正解とは、失敗と工夫の上にあるモノで、工夫とは創造性。限りなくクリエイティブの世界なのです。そのクリエイティブさを無くして、ただ早く解答できるようにする計算術を教える塾とか、山ほどありますけど。
私の感覚ではそれは教育ではなく、ただの攻略本です。
それでも、合理的に結果となる点数を得る事ができます。でもそれは教育じゃない。
塾に払う位なら、そのお金で裏口入学でもして、その時間を色々な経験する時間に回した方が、余程合理的でクリエイティブとも言えます。
クリエイティブであれ。 バカは言い。
バカみたい…。から今の常識を突破できる。
強くもあり、か弱くもある
色々と考え、その先に行動を必要とします。その過程で多くの人にアプローチしたり、大胆に動く必要があります。時にチームを引っ張る事も当然ある訳で、そんな時は、自分でも自分じゃない程に大胆に、そして偉大であることが求められます。
堂々とした態度は、聴衆に自信と勇気を与えます。
しかし、同時にか弱くもある必要があります。
力強くあると同時に、力強いだけでは、人は着いてきません。
時に自分の弱さ、か弱さ。いつも身を張っている人でも、こんなにか弱い部分があるんだと知ると、周りの人達が助けてくれます。
強さと弱さを上手に活用すべし。
『弱さ』は『強さ』に匹敵する。
偽ブランドに捕らわれるな
様々な行動の先に得るスキル・技術・経験は、自信のブランドを強化します。
そうした正当なブランディングなら良いのですが、就活本なんかにあるような、スカスカのブランド化を意識しすぎて、本当にスカスカな見栄を必至に得ようとする人がまた大勢いるのも事実です。
それが先ほど書いたような、サークルで●●してました。とか、ボランティアでこんな事しましたとか、その他色々です。
就活とは、自分という商品を企業に導入してもらう為のプレゼンです。
とどのつまりが営業な訳で、営業の仕事は、商品導入後にどういう利益を得られるかが関心事なのですが、その利益を保証する会社が無い『就活生』においては、採用側としては、本当にギャンブルと同じです。
だから、ハッタリを上乗せしようとするという、悪徳営業となる、悪徳就活生が一杯います。
正当なブランディングではない、つまりは実績が無いブランディングにおいては、そうならざるえません。なので、1回・2回の内に実績を作っておけ! と大学生の生徒には伝えておくのですが、どこまでわかってくれているかはわかりません。
こうした、小物的なモノで着飾って営業した所で結果が出るはずもありません。
見栄の為に着飾る愚かさ
1億のダイアモンドがあったなら、その1億のダイアモンドに、ジルコニウムや、シルバー等の金属で総省する事は絶対にないです。
逆にシルバーやジルコニウムは、装飾を施して価値を出そうとします。
それ単体が安いからです。
本物は着飾らない。
女性にとってバックはオシャレの1つだと思います。
オシャレで持つなら良いと思いますが、そこにブランドの名前や何万円で買ったとかという、一種のマウント的な要素があるなら、それはとても愚かな事だと私は思っています。
例えば、50万のバックが合ったとします。
50万のバックを持って、外出してウキウキしているとしましょう。
50万のバックで自分自身を装飾して浮かれている事になります。
つまりその方は50万以下の価値という事になる訳です。
浮かれているのであれば…。
この違いはどこにあるんでしょうか。
それは、自分の価値が何なのかを知っているかどうかという事です。
着飾らないと価値が無いのか、着飾らなくてもそれその物に価値があるのか。
それはバックやダイヤだけではありません。
会社の名前や、役職もそうです。
もっと日常に寄せてい言えば、赤ちゃんや若い子がノーメイクで外出できるのは、肌がキレイからであって、装飾する必要が無い、もしくは装飾する方が勿体ない、または価値を下げるからですよね。
人の価値とは上辺の美しさではありません。
着飾るよりも、内面に磨きをかけた方が、自信にもつながり、外装を取り繕う事にそこまで執着しなくなります。
人事部も面接をする人もバカではありません。
何千モノ就活生を見て、目が肥えています。 特異性を持って本質を表してこられたら、嫌が追うでも目が行きます。興味を持ちます。そして、自分の会社で育てたい!という事になります。
という事で、一杯書いたから今日はここまで。
グッドラック(*‘ω‘ *)