勉強なんて嫌い…という子に言う事

勉強が嫌いな子は多いですね。

私も勉強嫌いでした。子どもの時は。(´Д`)

と言うよりも、今でも いわゆる学校(高校以下)の勉強は大嫌いです。 

内容が浅いわりに、次々と内容が変わり、考えるというよりも、ただの暗記になるので、勉強した気に全くならないからです。

そんな私が勉強が好きな方向性になれたのは、やっと専門分野が学べるようになったからで、大人になってから、さらに専門性を持ってできるようになったことが救いです。

とはいえ、勉強が好きではない…という子は多い訳で、勉強よりも遊びたいという気持ちはとても共感できるところで、私も勉強は好きですが、勉強以上に遊びも大好きです!

子どもの中でも、自分で管理能力を持ち、自分でスケジューリングをした中で学ぶ子もいれば、危機意識を持って取り組む子もいる訳で、こういう子達は、逆に何もしなくてもOKです。

と言う事は、子育ての初期の段階で、この状態が当たり前という状態に持って行く事が、子育てで『勉強しなさい』なんて言わなくて良い子育て方法という事になります。

目的意識を幼いころから持たせる。これ以上に 楽な教育方法はありません。

しかし、そうでは無い。又は目的意識を持たせる事を意識せず、自由にノビノビと…という教育方針で子どもの考えが固まってしまうと、自己管理能力が育まれない事による、親の『勉強しなさい』を毎日言わなければならない状況になる訳です。

『自由意志』と『管理能力』の違いを理解できずに子育てしてしまった場合、その親も いよいよお手上げ状態になってきます。

∩(・∀・)∩ モウ オテアゲダネ

そうなってくると、直接 子どもと話してみる訳です。

話を聞いてみると、結構 好きとか嫌いとかと言うよりも、そもそも勉強の仕方が分かってない事が多く、そこに目的意識を持たせてあげると、軌道に乗るというパターンが良くあります。

私は、あまり大人とか、子どもだからという区分はしません。

シッカリ考え、動ける 未成年もいれば。
言い訳しか言わず、口だけな大人もいる訳で、そこに年齢という概念を持ってくるのが、私的にどうかな? という所だからです。

とはいえ、子どもはどうしても経験数も知識量も少ない。
でも、知識量を回りの大人が判断できるように与えてあげれば、ちゃんと正確な判断は下せます。

そこに、年齢は関係ありません。


それでも勉強しない子はいます。

目の前の事から逃げる子ですね。

そんな子には、徹底的にこれを叩き込みます。

勉強すらデキない人間に
何がデキるん?

こういうと、勉強が全てではない…という人いると思います。
私の言う勉強というのは、デスクワークが全てではありません。学びというのは、様々な部分からデキるのです。
遊びからも、運動からも観察によって得られる事は偉大です。
そのベースとして、デスクワークとしての勉強も当然必要です。 という事は先に言っておきます。

さて、勉強すらデキない…

という事ですが、勉強って難しいと思っている事があると思いますが、勉強って、メチャ簡単なんです。

例えば、大人の世界。

そもそも、勉強をしたくても、その為の時間の捻出そのものが難しい場合が多い。

その上で、学生とは、何もしなくて良い。 勉強だけの時間が用意されている。というだけで、大人からしたら

( ゚д゚ ) どんだけ恵まれとんねん! 

と突っ込みたい気持ち満載でしょう。

次に、大人の世界。

何かをしようと思うと、周りの人を動かす必要があります。例えば仕事など。
自分がどれだけ努力しても、それが報われない。 場合によっては、他人に足を引っ張られる事もある。
そんな、不条理な世界の中で、過ごさなければならない。

努力=結果 が リンクしない世界

これが大人の世界です。

でも、子ども達の学生時代。 やる事は勉強。そしてそれは

努力=結果 が 完全リンクする世界

つまり、自分がやればやる程、誰が一番得するって、ダイレクトに120% 全部自分に返ってくるんです。

大人な私から言わせて頂いていいですか?

( ゚д゚ ) 学生時代!! それはボーナスステージみたいなもんなんや!

こんなボーナスステージに居るにも関わらず、それすら理解できない。

つまり、勉強すらデキない人間。 これだけ与えられた環境で保護されているのにも関わらず、何もしない人間。

そんな人間に、一体何ができるの? 

という事になり、純粋な疑問でしかありません。


義務教育というのは、よく勘違いされますが『勉強する義務』ではありません。

別に子どもは勉強しなくても良いです。

そもそも、義務教育という法令の中で、『教育の義務』というのが言われるようになったのは、昔は子ども達は丁稚奉公(でっちぼうこう)という形で、労働力として使われていました。

学ぶ機会そのものが与えられなかった訳です。

しかし、幼児期~青年期において、学ぶ事による精神的な成長。さらに国の発展という 観点から、子ども達を労働力として使わず、大人は、子どもに学ばす機会を与える義務を負う。

という事での、子どもの学ぶ機会を奪わず、大人に課された義務。これが『義務教育』です。

故に、入学手続きや、学ぶ機会を与えているという義務を果たしている場合、子どもが学校に行かなくても、それは本人の意志なので、問題ありません。『義務教育の概念』としてはね…。勿論、別の問題が発生する訳ですが…。

HEARTSに来る小学生には、夏休みの宿題は7月中に終わらせる事。
そして、8月からは、次の学期・次の学年。2年先の学年。そして自然と戯れる事。 を推奨しています。

多くの子ども達にとっては、20歳未満はボーナスステージ。
そんな環境を貰っているのなら、そこに甘んじる事なく、今の時間を大切にして欲しいモノです。

最後に改めて言いますけど。

『勉強すらデキない人間に何がデキるん?』

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