子どもだからこそ礼節を学ぶ

礼節というと、一般的に大人になるにつれて身に付けて行くというのがあると思います。
小学校を卒業して、中学校になると部活という中で、中1~中3の生徒が合算して経験を得る過程で、先輩後輩などが発生し、そこで初めて慣れない中での敬語を使う頻度が上がっていのではないのかな?とも思います。

もちろん、子どもの時に、対大人と接する中で親御さんから、ありがとうございますを言う様に言われる事も、教える事もあると思います。

さて、そんな一般的な流れよりも、私は子どもだからこそ、早めに礼節を学ぶべきだと思っています。

私のBlogを読んでくれている方は、私という人間が少しだけでも伝わっているかと思いますが、私は子どもだからどうとか、大人だからどうとか…そういうのは考えない人間です。

その上でなぜ、子どもだからこそ礼節を学ぶ という事をおススメするのかという事になります。

形よりも想い

礼儀を相手に伝えるというモノに、マナーというのがあります。

最近『マナー講師』なるモノがテレビで良く出てきては炎上してますね。特に、あの叫ぶ人。平〇都という人の神戸兵庫区に店舗を置いてる人ですね。

マナー講師の何が凄いって、幾らでもマイルールを独自に作ってそれをマナーとしている点においてのビジネスモデルが、なるほどなという関心はありますが、中身については私はあまり興味ありません。

本当にマナーというか、立ち振る舞いを学ぶのなら、マナー講師よりも、お水で働かれている方から学ぶのが一番良い学びとなります。(人にもよりますが上質な人ね)

実際の所、私がまだ、営業的に接客していた時、行動と立ち振る舞いは、お水の方の動き、観察眼などを参考にしたものでした。 流れる様にしなやかな動きと、高速で頭を回転させ、相手のあらゆる動作の数パターンに対応できる予測と準備。

( ゚д゚ ) 今の私は全然アウトです。 オッサンやからな!(笑)

それに比べたら、マナー講師が解説するマナーなんて、まがい物の何でもないという感じです。

マナーとは私にとっては2つの要素があります。

1つ目は、相手への敬意を示すモノ。(相手を気持ち良くさせるモノ)
2つ目は、その空間への敬意を示すモノ。(ドレスコード的なモノ)

1つ目については、一般的なモノだと思うので想像つくかと思います。

2つ目の空間への敬意というのは、例えば、レストランでの食事となった時に、どんな格好でも良いとなれば、もちろん、どんな格好でも…な訳だから、パンイチでも言い訳ですよね。極論ですが…。

ただ、空腹を満たす食事と違い、それなりの空間での食事というのは、空腹を満たす事そのものが優先されるワケではありません。

食事と、デザートと違う様なものです。 ケーキは、空腹を満たすモノではありませんよね。
その甘味と、フルーツのバランスや舌触り等を楽しむモノで、空腹を満たすモノではありません。

その空間で、食事をするというのは、その空間そのモノも頂くという事です。
センスの良い食事に、センスの良い器が使われる様に。

そして、その空間を構成するのは、レイアウトや食事だけでなく、そこに滞在している客もまたディスプレイの1つという事になる訳です。

そのレストランで食事を楽しんで頂きたいというOWNERや、スタッフに対する敬意とも言えます。
ドレスコードは、ドレスという着るモノだけでなく、その場にいる客の品位、言葉遣い、声のトーンから、音量、内容に至るまで…。

ディスプレイにおいて、細部にこだわっているお店であればあるほど、客側もそれを理解してこそ意味があると考えています。

そうした、提供する側も、提供を受ける側も、敬意を持ってこそ、それは自然と形になるのであって、形式を学ぶモノではありません。

人を動かす基本は『敬意・畏怖』

人に何かをお願いする、自分ではどうしようもないからこそ、人の力に頼りたい…。
そんな時に、相手に『命令』では上下関係が無い限り、相手は動きません。

上下関係であっても、動かないというのもあります。

では、相手に動いてもらう為にはどうしたら良いか、その最たる方法が『相手への敬意』です。

自分自身の切迫している状況によりますが、相手の何らかのスキルを必要とする場合、それは『欲』から来るものですが、それがさらに洗練されていくと『敬意』が残ります。

『敬意』を持つのに最もバランスが保たれているのが『畏怖』です。

『畏怖(いふ)』とは自分よりも遥かに上の存在に対して抱く、恐れと尊敬の念を含めて使われます。多くに人間が神々に対して使う傾向のある言葉です。

子どもにとっては、一般的に父親がそれにあたります。

ただ単純に敬意をといっても、そこまで人はうまく考えられませんし、動けません。しかし一定の恐怖がある事で、安定して敬意を示す事ができます。

神社仏閣の中で、ポイ捨てする人って居ないですよね。

最も人を動かさなければならないのが子ども

さて、これでタイトルの本題に戻れます。

大人になっていくという事は、自分の力で(1人で)デキる事が増えるという事でもあります。
逆に言えば、子どもの時は、人に頼らなければ何もデキないという事になります。

赤ちゃんは泣く事しかできませんし、幼児は手を繋いでないと、直ぐに車に引かれてしまう行動をとるし、ご飯も食べれない。

小学校入りたてなら、自分の勉強のスケジュールも組めないし、この世界の事を何も知らない。

簡単に年齢だけで考えれば、時間軸に乗せればこんな感じになろうかと思います。

標準偏差のグラフみたいですよね。 何でもそうですが、この世界の自然物というのは必ず曲線によって構成されています。電子の動きから、経済、人の生死においても。私が曲線美が好きな理由ですねw。 それはおいといて…。

つまりは、一般的に人の力を多く必要とするのは、生まれて成人するまでの未成年期間です。
そして、老後の身体が自由に動かないという意味での支援です。
※あくまで、年齢だけで見たザックリ内容です。

最も人の力を必要とする子どもの時に、相手に敬意を持てず、つまりは礼節を使えずにいる。
それは一見して、子どもらしいという事かもしれません。

その子に対して、何もしないのなら、外野で見てるだけなら、子どもらしいな! それでいいと思いますが、その子の成長を大幅に上昇させるのであれば、より多くの力をその子に注ぐ方が成長は数倍にも引き上げられます。

多くの大人のスキルと知識に触れて伸びない子もいますが、単純な確率で言えば、普通上がって行きます。それだけの環境を味方にできるのですから。

子どもであっても、礼節を持って行動する事で、さらに相手のスキルを引き出す事ができます。
その最初にデキる事が、挨拶や、敬語であったり素直さです。

お金は何一つかかりません。 

相手は自分の鏡

自分以外の相手というのは、同時に自分自身を映し出す鏡です。
営業をしている人なら、知っている事かと思います。

相手が不機嫌なのは、自分が不機嫌になっているから。
相手が嬉しいと感じているのは、自分もまた嬉しい気持ちであるから。

相手に敬意を払えば、自分にも敬意を払って応えてくれる。

それが直接的か、一周まわってなのかはともかくとして、自分の行動の結果というのは、いずれ何かの形で回ってきます。

私は、どんなお店においても、サーブしてくれた相手に対して感謝の気持ちを持つし、それを想うだけじゃなく、ちゃんと一言何か言い残します。

道の駅の食堂で食べても、作ってた人、または食器を洗ってくれてる洗い場の人とか

(´∀`) ありがとう! 美味しかった~!
(゚∀゚) 天ぷらの揚げ方! めちゃ良かった!!

とか、感想付でw。

HEARTSの前のローソンで買い物しても、必ず ありがとう~!は当たり前。
おススメだよ!と推奨してくれたり、今売り出してるんだろうなって思うものは、買ってみたりする。

そうする事で、他の人には無い、特別サービス的なモノが得られる。

Blogでも、ちょいちょい言うのですが、私は『道徳』と言う教科書で学ぶ内容について、本当にどうでも良いと思っている口で、キレイごとで生きたいと思ってませんし、私自身、そんなキレイに生きてません。何より『正義』という言葉が凄く嫌いなんです。
歴史上『正義の〇〇』と名の付いてるものは、ほぼ頭が回らなくなった人間の虐殺行為の事なので…。綺麗ごとを言ってるつもりは一切ありません。

(゚∀゚) 単純に、気持ちいいでしょ。 
 相手に敬意払い、返ってくると。
そして、ありがたい事に特典付き(笑) 

難しくルール化しなくたって、どんな人でも、どんな年齢でも、デキるはずです。

だからこそ、3歳くらいになったら、おぼつかいないでも、一生懸命にしている姿を見せる事で相手の心を動かす事はできます。

笑顔一つでも。

人の心を動かせば、人は行動に移ります。行動は結果を生み出します。

多くの人に助けられて今、自分が居るのだと知り、成長し自分が大人になったとき、自分もまた自分より力を必要としている人に力を貸したいと好循環に回り始めます。

日本の多くの子ども達は、大人の力を当たり前に与えられるモノだと勘違いしている時があります。
それを警告しようとしているんじゃありません。

多くの子どもがそうであるからこそ、 礼節を知る子どもがより、多くの力を得る環境になるという事です。つまり格差が得られやすいという事です。

この状況を『プラス』と取れるか『マイナス』と感じるかは、人の価値観によりますけどね。
私の考えでは『確実はプラス』です!

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